ふるさと納税で、下田おひとりさましてしもだ

ふるさと納税で、下田おひとりさましてしもだ

田中 泰延 田中 泰延

無理矢理なダジャレが冴え渡る田中泰延です。こんにちは。51歳にもなって相変わらずヘリウムより軽い文章を書いて生活していますが、私だって国家の国民として納税しているのです。

納税は国民の義務であるのであるのである。しかし、同じ義務なら踊らな損損という古来からの言い伝えに従って踊ってみます。そう。なにが「そう」なのかわかりませんが「ふるさと納税」です。

「ふるさと納税」は「納税」と名前がついていますが、やりかたとしては、応援したい自治体(都道府県・市区町村)に「寄付」をする、寄付した金額は税金の控除という形で戻ってくる仕組みです。そのあたりは自分で確定申告をしようとして計算に苦しみもがき最後は税理士さんに任せた私に質問しないでください。最後にはできているのです。

だいじなことは、寄付をすると、「自治体から返礼品が届く」。

東急グループのふるさと納税「ふるさとパレット」のサイトを探して覗いてください。どこを探そうとしていますかあなた。そのサイトはここです。

数多く紹介され魅力的なのは、「その自治体自慢の食材が自宅に届く」というものです。お肉とか、お魚とか。おいしそう。

しかし、私の場合、自宅でその食材を調理して食べる写真をアップしたら、背後にあるハマーン・カーンのフィギュアや144分の1MS-06JCザク局地戦仕様がドイツSS第102重戦車大隊第1中隊のVI号戦車ティーガーE型と遭遇するジオラマなどが写り込んでしまい、大変恥ずかしい思いをします。

なので私が選んだのは、こちら。

静岡県下田市の温泉宿に泊まるのです。「お一人様歓迎」と書いてあります。ぼっちの51歳の私でも歓迎されるのです。そして下田市の財政に寄与するのです。これで私も下田名誉市民候補です。知らんけど。

申し込むときに「なぜ数ある自治体から下田市を?よかったらメッセージを」という欄がありました。

川端康成『伊豆の踊り子』(新潮社)

「下田は『伊豆の踊り子』を読んで以来、憧れの土地です。」

「そして、なんといっても浦賀の翌年ペリーが再来航した、日米関係の基点となる町です。行ってみたいと思っていました」

マシュー・カルブレイス・ペリー(1794ー1858)※写真はパブリック・ドメイン

もちろん本当は温泉に浸かって美味しい料理を食べたいだけですが、私にも見栄というものがあります。

小春日和の11月某日、私は勇躍、列車に乗り込みました。

「踊り子」号です。踊るのです。

窓からは太平洋が広がります。広がりますとは書きましたが、ここ最近で面積が拡張しているわけではなく最初から広いのです。

まもなく下田です。しかし伊豆半島は大きい。地図を見ると、なんと大島より南です。大島は昔、飛行機で行ったことあります。飛行機で行けばよかったと一瞬思いました。

川端康成は『伊豆序説』の冒頭でこう書いています。

伊豆は詩の国であると、世の人はいう。
伊豆は日本歴史の縮図であると、或る歴史家はいう。
伊豆は南国の模型であると、そこで私はつけ加えていう。
伊豆は海山のあらゆる風景の画廊であると またいうことも出来る。
伊豆半島全体か゛一つの大きな公園である。一つの大きい遊歩場である。
つまり伊豆半島のいたるところに自然の恵みか゛あり、美しさの変化か゛ある。

そんなことを思い出していると、

歓迎されました。

わぁ、お迎えありがとうございます。そうそう、温泉宿はこれですよ!お迎え!送迎バス命。

駅を一歩出ると、黒船です。下田へ来た実感が湧きます。

黒船といえばこれですよ。若い人から煙たがられる話を始めそうになってしまいました。

半袖ですが11月です。暖かいのです。背後のフェニックス感あるヤシ科ナツメヤシ属の植物もあいまって、伊豆は南国だなと感じる瞬間です。

「下田ビューホテル」に到着しました。玄関でお出迎えの方に写真をお願いしました。撮っていただいた写真はものすごくナナメっていましたが、いまは科学の力でなんとかなります。ありがとうございました。


さあ、存分におひとりさま開始です。すみません、向かい合わせになった座椅子はさみしくなるので片付けてください。

窓のすぐ外は、伊豆白浜海岸です。なんという透明度。素晴らしい波の音。まさにここは「ビューホテル」です。

不意に、19歳の夏、ここを訪れたことを思い出しました。大阪から車で、全て海岸沿いに東京へ向かうという旅をしたことがあります。そのとき紀伊半島、和歌山県の白浜海岸の美しさに感動し、数日後にここ伊豆白浜海岸に立ち、「美しさも名前も同じだ。日本にはすばらしいビーチがある」とまた感動したのです。忘れていました。忘れるかそんなの普通。日記をつける習慣を持とうと思いました。

まずは一風呂浴びて旅の疲れを落とし、悠々とおひとりさまを開始します。

私は物書きです。温泉宿でひとり文章を綴る。物書きとしての理想がここにあります。

全館禁煙ですのでたばこは喫えません。パイプは作家感を出すための小道具です。

ちなみに、どういう状況でこの写真が撮られているかというと、

こういう状況です。数分おきにシャッターが自動で切れる設定になっているのです。

しかし筆が進みません。書きたくないのかもしれません。書く気がない可能性もあります。カメラの位置を動かすだけで疲れました。

温泉宿です。そうです。浴衣を着て大広間で食事。これ以上の楽しみはありません。なにが「文章を書く」や。来た目的を間違えてはいけません。

下田ビューホテルのみなさま、わざわざ「1名様」の札をありがとうございます。心になにかじわじわきて涙が少しだけこぼれました。

大広間ですからほかのお客様もいらっしゃいます。この空間にぼっちというのはかなり緊張するものです。緊張をほぐすために私はひとりビールをたのみました。

こぼしました。緊張することはよくないことです。

やがて、伊豆の海の幸がふんだんに活かされたお料理が次々と運ばれてまいります。下田ビューホテルのみなさまより一品ずつ、丁寧にご説明いただきました。

お魚です。

魚類です。

貝の一種です。

甲殻類のなかまです。

最高です。一品ずつ丁寧にご説明いただきましたと書きましたが、あまりに美味しくて覚えていません。


もうこの頃には、このプレートにも負けない強い心を私は育んでいました。

強さがある。

地図をいただき、食べながら下田の見所や歴史などを伺いました。宿の方との会話は、一人旅の醍醐味でございます。

伊豆半島を見ると、いろんなことが思い出されます。源頼朝が平家打倒を目指して挙兵。思い出してへんけどな。教科書で習っただけやけどな。

伊豆半島は、もともとフィリピン海にあった島で、南から移動し本州にぶつかったのではないかというプレートテクトニクス理論。思い出してへんけどな。なんかの本で読んだだけやけどな。

あしたは、ここと、ここと、ここへ行こう。

部屋に戻ると、なんと布団が敷いてあります。どういうことだ。事前に「お食事の間にお布団を敷かせていただきますがよろしいですか?」と訊かれたのはこういうことだったのか。つまり、噛み砕いて言うと、食事の間に布団が敷かれるということだったのです。今、意味がわかりました。衝撃です。

視界には常に布団。寝ろと言わんばかりです。そういうわけにはいきません。私は自称・作家なのです。私には執筆という、天から与えられた仕事があるのです。数分ごとにシャッターが切れるカメラも私を監視しています。さぼるわけにはいかないのです。

でも、少しだけツイッター的なことをしたりスマホでゲーム的なことをするのは、仕事の効率を上げるためにはむしろ良いことでしょう。多少息抜きしてもカメラが数分おきに私が働く姿を捉えているのです。気が引き締まります。






よかった。PCのデータは消えていません。

夜間にありがちな多少のアクシデントはありましたが、私はより効率的な作業の遂行のために分子運動が加速した酸化水素に肉体を浸す処置に取り掛かります。

ここで湧出する一酸化二水素の場合、水素イオン濃度は7.9、電気伝導率は 117.0 mS/m、ナトリウム、カリウム、マグネシウムなどが含まれています。


サービスカット。

さらに効率的な活動のためには、ルブネルのエネルギー等値の法則に基づきアトウォーター係数で求められる生理的熱量を与える熱量素を体内に取り込む必要があります。

1名様、最高です。この写真からあらためてわかることは、私の部屋は908号室だったという事実ぐらいです。もうなにも怖くありません。

それにしても温泉宿の朝ごはんは最高ですよね。365日3食が温泉宿の朝ご飯でも私は全然問題ありません。しかも2020年は366日でしたから3回も余計に食べられるのです。

朝ご飯の後は、少しだけ本を持ってきたので、軽い読書タイムです。チェックアウトまで時間がないので、8冊だけにしておきました。

さて、宿を離れ、ふたたび送迎バスで下田駅へ送っていただきます。ここを拠点に、歩いて観光してみようと思います。

怖すぎるやろ。だれやあんた。

こちらは「道の駅 開国下田みなと」です。

海を眺めていると黒船が襲来してきました。

なぜ撃退しない海上保安庁!!外国船の襲撃ですよ。海上における人命・財産の保護、法律違反の予防、事件の捜査・鎮圧は君たちの仕事でしょう!!わたしは納税者だぞ。しかもここ下田市にふるさと納税しているのだぞ。

こちら、ペリーの乗艦と同じ名前が付けられた遊覧船サスケハナ号、次回は乗ってみたいと思います。

おお、海岸には坂本龍馬が。ここ下田は龍馬飛翔の地でもあります。時は1863年、下田の宝福寺。勝海舟が土佐藩主山内容堂に坂本龍馬の脱藩を認めてやってほしいと直談判、容堂は海舟が酒を飲めないことを承知の上で「ならばこの酒を飲み干してみよ」、ああ飲めますともと一気に酒を飲み干した海舟、晴れて龍馬は自由な浪人の身となり2年後には海援隊を結成…この話は長くなりますのでまた今度。

続きましては少し歩いた三島神社境内の吉田松陰像。

あの松下村塾で明治維新の思想的支柱となった吉田松陰。下田にはもうひとつ松陰の像があります。

それがこちら。「踏海の朝」。時を少々遡りまして、嘉永七年(1854)三月十八日、吉田松陰と金子重輔は、日本の未来のため異国を知りたい、黒船に乗せてくれ、我々をアメリカへ連れてってくれと直談判しようと海へ漕ぎ出します。しかし日本人渡航禁止の令を守らざるを得ないペリーはこれを拒否、松陰は幕府の牢に禁錮刑を受けるのであります。しかしその後松下村塾を開いたのは前述のとおり。

幕末の志士たちがそこまでして乗りたかった黒船、そしてペリーのことを、日米和親条約付録下田条約が結ばれた了仙寺にある「黒船ミュージアム」でさらに学んでみましょう。


ペリーです。私は顔ハメ看板に顔を入れて手を伸ばして自撮りする第一人者だと思います。この技術を習得した人間は世界に4人しかいません。


思ってた人と違う…。

ミュージアムで書籍を購入しました。

なるほど、異国人であるペリーの肖像画は、鎖国していた当時の日本人から見ると鬼みたいだったり、勝手に髭をはやしたりと、まさに「未知の恐怖」だったんですね。さきほどの「道の駅 開国下田みなと」の怖い人もペリーさんでした。

ペリーに続いて来日し、ここ下田で米国領事として赴任したタウンゼント・ハリスが領事館を構えた玉泉寺にも足を運びます。

タウンゼント・ハリス(1804 -1878)※写真はパブリック・ドメイン

ここは「唐人お吉」が3日間だけ勤務した領事館でもあります。お吉こと斎藤きちに関しては、史実と虚構が入り混じっているようですので今後の課題として、今回は「牛乳の碑」に注目です。

赴任中、ハリスは体調を崩し、牛乳を飲みたいということで、それまでそのようなものを飲むことがなかった日本で、はじめて牛乳が提供されたのがこの場所だったんですね。その後、森永乳業はここ下田を生産拠点として創業されます。

さて、旅も終わりに近づいてきました。ペリー提督の記念碑は、下田の港を一望できる場所に建てられています。

左に見える三角の山は「下田富士」。かわいいですね。あの3776メートルの富士山とは姉妹なんですよ。

ペリー艦隊の乗組員が行進したという「ペリーロード」。いまでは小川の両岸にお店が立ち並ぶ遊歩道になっています。


なんでもペリーかよ。


犬にアイス食わしていいのかな。

さあ。最後です。下田の街を見下ろす丘の上に、開国記念碑はあります。

ここには、ペリーやハリスの、日米の平和と友好を願う言葉、そしてその後の不幸な歴史を乗り越えて語られるマッカーサーや、ここを訪れたカーター大統領の言葉が刻まれています。私は、ここ下田の地で、幾層にも重なる時間と、後世のために努力した人々、いまここに平和な時を過ごす自分自身を深く静かに感じることができました。

帰り道、下田の街を写真に収める私に、日本の商業写真の開祖と言われる下岡蓮杖の像がまぶしく語りかけてきます。

カメラ、でかっ。下岡蓮杖さんにここで会うことも、旅の目的でした。


「汽船が下田の海を出て伊豆半島の南端がうしろに消えて行くまで、私は欄干にもたれて沖の大島を一心に眺めていた。」

伊豆半島を去る列車の窓から大島を見つめながら、私は『伊豆の踊り子』のラストシーンを思い出していました。

久々に一人きりの時間を過ごし、いい景色を眺め、下田ビューホテルの皆さんの優しい気遣いに触れおいしいお料理と温泉、そして歴史と対話できた下田の旅。「ふるさと納税」はおもわぬ機会を与えてくれました。

え?宿では寝てただけだろうって?歴史小説、一篇書きましたよ。機会があれば、そのなかで下田の町を歩いてみてください。

参考文献
『伊豆の國〈第1集〉特集 風景』 伊豆の国刊行会 (編)、木蓮社、2003年
『大日本古文書 幕末外国関係文書1 嘉永六年六月?七月』 東京大学史料編纂所(編)、東京大学出版会、1984年
『大日本古文書 幕末外国関係文書2 嘉永六年八月?九月』 東京大学史料編纂所(編)、東京大学出版会、1984年
『現代語訳 墨夷応接録』 森田健司 (訳)、作品社、2018年
『ペリー提督日本遠征記』(上)(下) M・C・ペリー, F・L・ホークス (編)、KADOKAWA/角川学芸出版、2014年
『日本滞在記』(上)(下)ハリス、坂田精一(訳)、岩波書店、1953年
『ヒュースケン日本日記』ヒュースケン, 青木枝朗 (訳)岩波書店、1989年
『ペリーの白旗 150年目の真実』岸俊光、毎日新聞社 、2002年
『対米従属の原点 ペリーの白旗 』矢吹晋、花伝社、 2015年
『日本開国 アメリカがペリー艦隊を派遣した本当の理由』渡辺惣樹、草思社、2009年
『ペリー艦隊と日本外交の対決をどのように評価するか』 竹田英尚、東洋出版、2013年
『ペリーと黒船祭 日米文化外交史』佐伯千鶴、春風社、2014年
『ペリー来航 日本・琉球をゆるがした412日間 』西川武臣、中央公論新社、2016年
『不平等ではなかった 幕末の安政条約―関税障壁20%を認めたアメリカ・ハリスの善意』鈴木荘一、関良基、村上文樹、勉誠出版、2019年
田中 泰延
作者プロフィール
田中 泰延
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1969年大阪生まれ。株式会社 電通でコピーライター・CMプランナーとして24年間勤務ののち退職、2017年から「青年失業家」を名乗り、ライターとして活動を始める。2019年6月初の著書『読みたいことを、書けばいい。』(ダイヤモンド社)を上梓、Amazon和書総合1位を記録し、現在16万部突破。

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